今から17階級前の9月のことです。
お産前日の朝からひとりでに胃腸がつらいような気がしていました。
但し、お彼岸でお墓参りに行く日程でしたので、家族でお墓参りに出掛けました。
親類の自宅にたどり着くと、20分け前感覚で胃腸がつらいような感じがしたので、所帯はお墓参りへ行きましたが、自分は親類の家で待つことになりました。
所帯がお墓から戻ると、叔母が分娩になることを心配して、「手早く帰った方がいい…」というので、そのまま夕暮れに自宅へ戻りました。
初産なので分娩が早くなることはないと思ったので、たらたらお風呂に入ったり、入院の準備を通して、夜になってから、病舎へ連絡をして入院することになりました。
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病舎へ通う車内の中で、陣痛がだんだんと強まり、ミュージックを聞きながら息抜きをするように意志を落ち着かせていました。
病舎にたどり着くって、陣痛拡張剤を活かし、そうしたらが地獄のような痛苦でした。
子宮口がいまだに4㎝だったので、まったく分娩にならず、夜通しその痛苦に耐えていました。
眠たくても陣痛の痛苦が15分け前置きに来ていたので、眠ることも出来ずに朝方を迎えました。
おんなじ病室では、未だに10代のマミーが、自分と共に陣痛の痛苦に耐えていました。
自分は大人として気丈としていなければといった無理をしていました。
恋人がリラックスに屋上へ連れ出してくれました。
とってもウエザーが良くて快晴でしたが、飲料を飲もうとした歳月、陣痛が襲い飲料をこぼしてしまいました。
分娩は未だにかと午前満載耐えていました。
真昼になると家族が入り込みました。
心苦しい顔を見せまいと思いましたが、今や一生懸命でした。
真昼食べ物を恋人が代わりに食べている時に出産室へ呼ばれました。
恋人もあわてて食べて一緒に立ち合いました。
出産室へ入るとたちまち破水し、子宮口は10㎝になりました。
いよいよかと思いましたが、依然としてだと言われ多少待機のステップでした。
教官が来るという分娩は早かっただ。
13:40に長男が誕生しました。